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嘉永7(安政元(1854))年2月10日、再度の来航で横浜応接所に入ったペリーは、神奈川等数港の開港を求めた。幕府は下田を開港し、3月3日、日米和親条約を締結調印した。同年中にはイギリス、ロシア、翌年オランダと同様の条約が結ばれた。 掲出は、ペリーと林大学頭等との間に交換された日米和親条約の条約書とその付随書の写しから、第一条の部分である。「日本と合衆国と其人民永世不朽の和親を取結ひ場所人柄の差別無之事」と見える。