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江戸時代初期から幕末にかけて活躍した力士97名の名前や所属する藩、身長のほか、105人の人物の似顔絵が描かれた錦絵。この6枚続きの錦絵を見ると江戸時代の有名力士のほとんどを知ることができます。
安政7年(1860)の春場所の相撲番付です。相撲番付は現在もありますが、このような木版1枚刷りで配布されるようになったのは、享保年間(1716~1735)のことと言われています。
一般に長者番付と言われる見立番付です。金額は示されていませんが、越後屋と白木屋(現在の三越百貨店と東急百貨店)が肩を並べて勧進元になっています。行司には、大坂の鴻池家と並び称された江戸の両替商・三谷三九郎の名があります。
三代豊国が描いた「二十四孝」の「孝」を「好」にもじった美人画の揃いものの一つで、着物好きの女性を描いた作品です。
戯作者・式亭三馬が創業し、没後は息子の小三馬が継いだ化粧品店の商品一覧を双六化したものです。値段も併記してあり、七福神が描かれていることから、宣伝をかねた正月用の配りものと思われます。
この作品は文化9年(1812)、市村座の顔見世興行で上演された近松門左衛門作『嫗山姥(こもちやまんば)』の一場面です。
武者絵を得意とした歌川国芳が描いた10枚揃いの見立美人画シリーズの1枚です。タイトルのとおり描かれた女性はみな弁慶縞(弁慶格子)の着物を着ています。
越後屋(現・三越百貨店)、大丸(現・大丸百貨店)と並び、江戸三大呉服店の一つとも言われた白木屋の軒先を描いた錦絵です。日本橋周辺は多くは京都や伊勢、松坂に本店を持つ呉服屋、木綿店が軒を連ねる江戸のファッション街でした。
江戸時代を代表する絵師・葛飾北斎が描いた紺屋の風景です。紺屋はもともと「紺掻き」という藍染専門の職人を指す言葉でしたが、江戸時代になると染物屋を紺屋と呼ぶようになりました。
江戸三座の一つ市村座の前に出ていた蕎麦の屋台の様子を描いた作品です。「二八」の由来は、代金が2×8=16文であったため、または小麦粉と蕎麦粉の割合が2対8であったためとも言われています。