一年を二十日で暮らすよい男
勧進大相撲の誕生は、興行で得られる収入で生活を支えることができる、プロの力士たちの誕生を意味します。やがて人気力士は、相撲を好む大名家に召し抱えられるようになります。当時の番付を見ると、力士たちの名前には生まれ故郷の国名が併記されていますが、大名家によって召し抱えられた力士には、大名家が所在する国名が書かれていることに気が付かれるでしょう。彼らは、本場所で勝利することによって大名の家名をあげる役割を担うようになりました。
お抱え力士を多く持った大名家としては、小野川喜三郎(おのがわきさぶろう)らを抱えた久留米藩(くるめはん)(現・福岡県)、雷電為右エ門(らいでんためえもん)、稲妻雷五郎(いなづまらいごろう)らの松江藩(まつえはん)(現・島根県)などがあり、熊本藩は相撲行事の家元として横綱免許の発行などを行う吉田司家(よしだつかさけ)を家臣にもっていました。
「一年を二十日で暮らすよい男」とは、力士たちの暮らしぶりをうたった川柳です。これは安永7年以降、相撲興行日が晴天8日から晴天10日に延長され、かつ江戸の定場所が、春・秋の2場所だったので、春秋の合計20日間相撲をとれば暮らしていけることを意味しています。しかし、実は本場所の20日以外にも、地方への巡業や大名家での御用などがあり、川柳でうたわれていたような優雅な生活ではなかったようです。
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