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7. 〔綏猷堂入塾證書綴〕

綏猷堂入塾證書綴1の画像

綏猷堂入塾證書綴2の画像

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〔綏猷堂入塾證書綴〕
明治8-19(1875-86)寫 (岡千仞旧蔵)
請求記号:特4743

岡千仞は東京府立中学校少教授、編輯寮勤務、修史局勤務を経て明治11年(1878)から東京府書籍館に勤務したが、明治13年から、主宰の漢学塾綏猷堂(すいゆうどう、明治4年開塾)の経営に専念する。
『随筆百花苑』(第2巻 伝記日記篇 森銑三責任編集 中央公論社 1980.9 当館請求記号/J450/21/2)附録の「綏猷堂門人録」(本資料を翻刻し年代順に並べなおしたもの)によると、明治7年の入塾者の誓書が最も早く、10年以降学生が急増する。約700人の誓書が存するが、綏猷堂で学んだ者は前後三千人に及んだといわれている。その後、明治10年代後半になると、新しい学校が次々と開校し、入学者が減少してその役割を終えることになる。
掲出は、明治15年1月10日付の北村門太郎(透谷)の誓書。ほかに尾崎紅葉、原敬の名も見える。北村透谷は樋口一葉の『たけくらべ』や島崎藤村の詩が発表された、初期浪漫主義派の雑誌『文学界』の創刊にかかわった詩人・評論家である。

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