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1. 江戸城写真集

江戸城写真集(天守台石垣)の画像

江戸城写真集(桜田濠)の画像

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江戸城写真集 写真(白黒)40枚 [明治4年(1871)撮影] [内山科学模型製作所/製作]
Edo Castle Photograph Album
請求記号:東617-10
左:天守台石垣 右:桜田濠

江戸城の古写真は、太政官の役人であった蜷川式胤(にながわのりたね、1835-1882)の申し出により、明治4年(1871)3月9日から約5か月にわたって撮影されました。江戸城は、幕末に主要な御殿を次々と焼失し、明治を迎えた時に残っていたのは、財政難のため簡略な「仮御殿」として元治元年(1864)に再建された西丸御殿だけでした。蜷川は、荒廃の進む江戸城を写真に撮り、記録として永遠に残したいという思いから、自ら写真機を購入して撮影を行うとともに、写真家の横山松三郎にも撮影を行わせました。この時に撮られた写真は数百枚と伝えられており、売却されて各地に保存されていますが、当館でもそのうちの40枚を『江戸城写真集』として所蔵しています。
左の写真は、天守台西の番所から撮影したもので、高い石垣は天守台、一段低いところは小天守台、壊れかかった建物は番所とされています。江戸城に天守閣がそびえていたのは江戸初期のわずか50年だけで、明暦3年(1657)の大火で焼けて以降、再建されることはありませんでした。
右の写真は、幕末に暗殺された大老、井伊直弼の屋敷であった彦根藩上屋敷付近から桜田濠を写したもので、右奥に見える建物が外桜田見附(桜田門)です。中央に映り込んだカメラが、当時の撮影風景を伝えています。

幕末の江戸城については、特別コレクション第24回「『歴史の転換点の舞台西の丸-重要文化財甲良家資料にみる-』展から絵図・錦絵」及び第49回「『最後の江戸城〜建築図面から見る幕末の姿〜』展より」でもご紹介しています。こちらも合わせてご覧ください。

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