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回向院の本堂の右側に見えるよしず張りの巨大な建物が相撲小屋です。表門の外に立てられた相撲櫓(やぐら)から打ち鳴らされる櫓太鼓の音によって、江戸の人々は勧進相撲の始まりを知ることができました。
嘉永2年(1849)11月に両国の回向院で開催された本場所を描いた錦絵です。大関・剣山(つるぎさん)以下東方の力士が土俵入りを済ませ、代わって西方の力士が土俵に上がろうとしている場面を描いています。
両国回向院境内で興行された相撲の取り組みの様子を描いたものと思われます。谷川梶之助、小野川喜三郎など寛政期(1789~1800)を代表する力士たちが写実的な似顔絵で描かれています。
安政7年(1860)の春場所の相撲番付です。相撲番付は現在もありますが、このような木版1枚刷りで配布されるようになったのは、享保年間(1716~1735)のことと言われています。
回向院は明暦の大火(1657)の焼死者の供養を目的として建立された無宗派の寺院です。相撲興行のほか、本尊や秘仏を寺から持ち出して一定期間公開する「出開帳」の場としても有名でした。
深大寺(じんだいじ)は天平5年(733)に創建された古い歴史を持つ寺院です。江戸時代、深大寺の名を広めたのが明和2年(1765)と文化13年(1816)に両国の回向院で行われた出開帳です。江戸市中の人々が深大寺の元三大師(がんさんだいし)像の巨大さに驚愕したと言われています。