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西新井大師堂は、平安時代に弘法大師・空海によって建立されたとされる真言宗の寺院です。毎月21日にはご本尊である弘法大師像が開帳され、厄災によく効くということで古くから多くの参拝客を集めていました。
千住宿からちょっと離れた場所にあった耆老茶屋(じじがちゃや)と呼ばれる茶屋を描いたものです。この茶屋には光り輝く名物の茶釜があったそうです。
「六阿弥陀廻」とは、春と秋のお彼岸の期間に、熊野から流れついた霊木で造られたという6体の阿弥陀像を祀った6ヶ所の寺院を巡り極楽浄土を願うことで、江戸の人々の行楽の一つでした。
「ひぐらしの里」とも呼ばれた日暮里が桜の名所となったのは、江戸時代中期のことです。多くの寺院が桜やツツジなどを植樹した庭園を競うように造ったことによって花見の名所になったといわれています。
谷中から道灌山あたりは寺院が密集する地域でしたが、とくに道灌山に向かう道の両側には経王寺、仁専寺、養福寺、妙隆寺、修正院、青雲寺など美しい庭園を持つ寺院が連なっていました。
荒川区西日暮里にある諏訪神社の境内から崖下の田んぼ、そして遥か遠くの筑波山を描いたものです。諏訪の台とは諏訪神社あたりの高台のことで、3月には八重桜の名所として花見客で溢れかえり、厄よけなどの願いを掛けて、素焼きや日干しの土器の杯や皿を投げる「土器(かわらけ)投げ」に興じる人々もいたそうです。
江戸時代の三河島(現・荒川区東日暮里)は鶴の飛来地で、毎年11月になると、竹の囲いをめぐらして、鶴の餌付けが行われていました。将軍が自ら鷹を使って鶴を捕獲し、朝廷に献上する「鶴御成(つるのおなり)」の猟場の一つでした。
江戸の虫聞きの名所と言えば道灌山です。7月末頃の虫聞きのシーズンになると、松虫やキリギリス、鈴虫など虫の声を夜通しで楽しむために多くの人々が集まりました。
もとは「新堀」や「入堀」と書かれていたこの地域が「日暮里」と書かれ、「ひぐらしの里」と呼ばれるようになったのは江戸時代中期頃のことといわれています。花見や虫聞きを楽しむことのできる江戸名所として、錦絵や名所案内に数多く取り上げられています。
板橋宿は上宿、仲宿、平尾宿という3つの宿場の総称であり、上宿と仲宿の境目は「板橋」が架かる石神井川、仲宿と平尾宿の境目は観明寺付近にありました。