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泰平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)

異国船図 北亜墨利加

江戸の町、そして日本全国を襲った「大変」のなかでも歴史を変えるほどの衝撃を与えたのが黒船の来航です。18世紀末には外国船が日本近海に姿を見せるようになりました。そして嘉永6年(1853)、日本との交易を求めてアメリカ東インド艦隊司令官ペリーが率いる4隻の軍艦が浦賀に来航し、翌年の再来航を予告して江戸湾を去りました。幕府は、江戸湾海防強化のため嘉永6年8月から品川沖に御台場(砲台)の造営にかかり、嘉永7年(1854)4月に竣工しました。12基の造営予定(当初の計画は11基、後で1基追加)でしたが、資金難で計画が変更され、完成したのは6基のみでした。

品川新台場之図

「泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず」という有名な狂歌がありますが、これほど人々が右往左往したのは、この艦隊が浦賀という江戸にほど近い場所に姿を見せ、江戸の町を砲撃するという噂が広まったからです。町にはこの異国船到来を告げる多種多様の瓦(かわら)版(読売)があふれました。

結局、徳川幕府はペリーの強硬な姿勢に屈する形で、安政元年(1854)に日米和親条約(神奈川条約)、その後日米修好通商条約を結びます。さらにオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約(安政の五ヶ国条約)を結び、日本は長い鎖国政策を解いて開国することとなりました。

武具之図(『落葉集』第5冊所収)

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