大正の大震災当時、日本内地は勿論、遠く海外諸国より贈られた救援物資は、殆どすべてこの芝浦地先に山積せられました。桟橋もなく倉庫もない港の不便さを、そのとき痛感させられた結果、経費百四十六万円を投じて、二ヶ年の継続事業として起工されたのが、この桟橋と倉庫であります。現在は臨港鉄道も埠頭まで敷設され手、物資の運送をやっております。
詳細(TOKYOアーカイブ)