大江戸探訪
江戸城に迫る / 文明開化スポット築地に出来た「外国人居留地」
17世紀中頃、幕府は海外との交易をオランダ・中国・朝鮮・琉球の4国に制限し、外国人と日本人の自由な交流も禁止しました。その体制が崩れるのは、西欧列強国の要求に応じて開国することとなった幕末のことです。この開国にともない横浜や長崎、函館を開港場として外国貿易に門戸を開き、自由貿易が開始され、各地に外国人居留地が誕生します。
明治2年(1869)に設けられた築地鉄砲洲(つきじてっぽうず)(現在の中央区明石町一帯)の外国人居留地は、東京開市に合わせて設けられた外国人の居住区域でした。商館や商社も多く商業都市として繁栄した横浜と異なり、築地には公使館や領事館が置かれ、宣教師・医師・教師などの知識人たちが開いた教会や学校も数多く作られました。
青山(あおやま)学院や立教(りっきょう)学院、明治(めいじ)学院、女子聖(じょしせい)学院など、この場所を発祥の地とするキリスト教系の学校も数多く設立され、築地居留地は文教都市としての役目も果たしました。
※画像をクリックすると解説文が開きます。