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6. 東叡山文珠樓焼討之圖慶應戊辰五月十五日

東叡山文珠樓焼討之圖慶應戊辰五月十五日

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月岡芳年画 高齋年充補筆 明治7(1874) 萬屋孫兵衛刊 大判錦絵3枚続
東京誌料1584-C15

東叡山寛永寺は、寛永2年(1625)に創建された天台宗の寺。僧天海が三代将軍家光に、江戸城の鬼門の位置に幕府の祈願寺を建立するよう進言して建てられた。その後も代々の将軍によって寺域・伽藍とも整備されて、五代将軍綱吉の時代には寺域36万5千坪(約120万5000平方メートル)ともいわれたが、文珠楼をはじめとする大半が彰義隊の戦火で焼失した。慶応4年(1868)2月に結成された彰義隊は、5月15日に2000名程が上野の山にたてこもり、約2万の薩長連合軍と戦った。朝から昼過ぎまで砲撃を受け、その砲声は江戸市中にとどろいたといわれる。この画は事件の7年後の刊行で、雨と炎の中槍や刀で戦う様子を描いた錦絵。

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