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8. 東京築地鉄炮洲景

東京築地鉄炮洲景(左)

東京築地鉄炮洲景(右)

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歌川国輝<二代>画 明治2(1869) 大黒屋金次郎刊 大判錦絵6枚続
東京誌料0422-C7,0422-C7イ

築地居留地は、安政の日米修好通商条約に基づき、明治元年(1868)11月に貿易のための市場として鉄砲州一帯に開かれた。そこに外国人宿泊用の築地ホテル館が建設された。この建物はアメリカ人ブリジェンスの設計に基づき、清水建設の創始者である清水喜助が工事を行った。明治5年(1872)に銀座大火により焼失するまで、東京の新名所となった。
居留地の開発は当初横浜に押されあまり進まなかったが、明治10年代には外国公使館や教会・学校などが作られ、市場とは別の性格を持つようになった。明治32年(1899)の条約改正によって、一帯は居留地としての使命を終え、明石町と名称を変えた。この図は右側に居留地の全体を、左側に隣接して設置されていた新島原遊廓を描く。右3枚に比べ左3枚はやや後摺りらしく、画面にざらつきが見られる。

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