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9. 東京第弌名所銀坐通煉瓦石之圖

東京第弌名所銀坐通煉瓦石之圖

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歌川広重<三代>画 [明治10-11(1877-78)] 具足屋嘉兵衛刊 大判錦絵3枚続
東京誌料0422-C69

東京で横浜との往還以外に乗合馬車が許可されたのは明治4年(1871)9月のことで、この後人車道を区別するため、土止めの縁石を敷いて砂利を突き固めた道ができ始める。図中央の馬車に見える「千里軒」は、明治7年(1874)8月から2階建ての4頭だて大馬車を浅草雷門から新橋ステーションまで運行していた。しかし往来が狭く人身事故が多発し、翌月に東京府は2階部分を取り壊すように命じたため、当図では既に2階部分はない。馬車の屋根には「新橋従万代橋迄十銭」と乗車料金が掲げられている。
画中右手の建物は東京日々新聞日報社である。『東京日々新聞』は明治5年(1872)2月に創刊された日本で最初の日刊紙。この画は、明治10年(1877)尾張町一丁目の角に新社屋を構えて間もない頃の様子を描いている。玄関階段上に「吾曹」と記されている人物が社長の福地桜痴、「吟香」は岸田吟香である。

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