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1. 『埃嚢抄』抜粋「木子大工ノ事」

『埃嚢抄』抜粋「木子大工ノ事」

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『埃嚢抄』抜粋「木子大工ノ事」(大正8.4写)
内題「埃嚢抄抜粋 釈行譽著 正保三年 (大正八年四月七日抜粋)」
題箋「埃嚢抄抜粋 釈行譽著 正保三年 (木子大工ノ事)」
大正8(1919)4.7写
文書2枚綴,27.5×19.5cm
分類:木子家重要図書木子清逸調 <木子家>
請求記号:木029-2

文安2年(1446)に成立した『埃嚢鈔』(あいのうしょう)の第3巻、「木子大工ノ事」には、木子姓の由来について次のように記されている。
「(前略)内裏ノ御大工ニキコノ大工ト云如何/昔飛騨ノ工ミ数輩木偶人ヲ造テ昼夜ニ巧匠ヲ操成シム/ル事敢テ生身ノ如シ然ヲ或女官獨リノ人形ニ心ヲ懸テ夜々/婚姻ヲ成ス仍テ一人ノ子ヲ産メリ是ヲ名テ木子ト云フ工匠/成足レリ今ニ其子孫アリ紫宸殿ノ御大工是也(後略)」
『埃嚢抄』は和漢の故事来歴・語義の説明・考証を中心とした雑纂である。この記録から、木子家は、室町時代から禁裏紫宸殿の御大工であったことがわかる。『ある工匠家の記録』によると、木子家は内裏の修理・増造のほか、京大工として摂家関係の邸宅・寺社の造営にも携わった。幸三郎の父清敬は、安政4年(1857)ごろから京都にて御所の御用を務めていたという。用箋の版心に「木子清敬箋」とあるが、清敬は明治40年(1907)に没しているので、木子幸三郎が上野図書館本を写したものと推定される。

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