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トークイベント「障害者スポーツの魅力とは何か?〜東京2020大会に向けて〜」(2017年1月15日(日)実施)を開催しました。当日の様子をお知らせします。

2017年2月10日

2017年2月10日

会場:東京都立中央図書館 4階多目的ホール

平成29年1月15日(日)に、コーディネーターに藤田紀昭氏、ゲストにパラリンピアンの木村敬一選手、高桑早生選手をお迎えしてトークイベント「障害者スポーツの魅力とは何か?〜東京2020大会に向けて〜」を行いました。当日は寒い中、70名近くの参加者にお越しいただきました。本トークイベントが、障害者スポーツへの理解の一助になることを願っております。

藤田氏、高桑氏、木村氏トークイベントのフォトセッションの様子

トークイベントは、コーディネーターの藤田氏の円滑な司会で進められ、ゲストのお二人の軽妙なお話に時折参加者から笑いが起こったりと終始和やかな様子でした。 ゲストのお二人には、「これまで」と「これから」のことを語っていただきました。

これまでのこと

スポーツを始めたきっかけ

「小さい時からスポーツが身近にあった」と高桑選手。テニス、水泳、バレー、バドミントン、時にはよさこい...と体を動かしてばかりいたそうです。そんな高桑選手が陸上と出会ったのは、義足になった中学1年生のころ。義足を作っていた方が陸上競技をしており、それで興味を持った、とのことでした。
木村選手も幼いころから体を動かすことが好きだったそうです。見えていないながらも動き回った結果、ぶつかったりころんだり。怪我が多い木村選手を心配した母親が、地元のスイミングスクールに連れていったのが水泳との出会いだったといいます。

影響を受けた人物について

筑波大学附属盲学校(現:筑波大学附属視覚特別支援学校)の寺西先生の影響が大きかった、と木村選手。高桑選手は、同じパラリンピアンの佐藤真海選手を挙げていました。佐藤選手の著書に掲載されていた写真を見て、「こういう姿になるんだ」と未来を想像していたそうです。

スポーツをやるにあたって苦労したことは?

「競技を続けられないという大きな障壁はなかった」と木村選手。
高桑選手も「苦労を覚悟していたけど、大学に見学に行ったら受け入れてもらえた」とのこと。藤田氏に義足に関する苦労について尋ねられ、金額等についてお話ししてくださいました。

パラリンピックを意識したのはいつから?

「北京2008大会のときに陸上競技を始め、そのときから行き着く先にはパラリンピックがあるという意識があった」と高桑選手。一方、木村選手がパラリンピックを意識し始めたのは、アテネ2004大会から。パラリンピック選手の合宿に参加させてもらったあとに大会の様子を聞いて、いつか行きたいと思ったそうです。

藤田氏、高桑氏、木村氏トークイベントのフォトセッションの様子

リオ2016大会で面白かったことは?

木村選手は、選手村の居住空間について触れ、「「シャワーのお湯がでないので直してほしい」と現地のスタッフに伝えたら、ブラジル人はお湯を浴びないと言われた」とひとこと。高桑選手からは、部屋に入る前の説明で「何部屋か便座が壊れています」と言われ、部屋に入ってみたらまさにその部屋の便座が壊れていたというエピソードが飛び出しました。普段はなかなか聞けない選手村での生活について、お聞きすることができました。
不具合について、「与えられた条件で戦うのは皆同じ。」と木村選手からアスリートらしいお言葉もいただきました。

レースについて

「(走り幅跳びでは)自分の未熟な点を感じた。やりたかったことを出せなかった」と高桑選手。走り幅跳びと100m、200mの試合の間に時間があり、いろいろと考えてしまったそうですが、100m、200mのレースは気持ちを切り替えてのぞんだとおっしゃっていました。レースをしていないときは、できるだけリラックスするようにしていたとのこと。散歩をしたり音楽を聴いたり、日本から持ってきたぬいぐるみでベッドを飾ったりしていたそうです。これには木村選手から、「ぬいぐるみを持っていったんですか?!」と鋭いツッコミがありました。

木村選手は、なんと5日間連続でレースがあったとのこと。レースを終えたら就寝が午前0時すぎという生活。
最初の50m自由形は、幸先よく銀メダルを獲得でき、「これは木村劇場が始まるぞ」と思ったそうです。次の100m平泳ぎは自己ベストに近い記録で3位。金メダルが狙えると思っていた100mバタフライでは体調が悪く銀メダルに。金メダルを狙えると思っていたところの銅メダルと銀メダルという敗北のショックと肉体的な疲労が重なって、100m自由形の予選が終わった時点では立っているのも勘弁といった状況だったそうです。そんな時コーチから、「午後もそんなにきついようなら泳がなくてもよい。本来の実力出し切れない。今のままレースにでるならやめておけ。どうしても泳ぎたいなら選手村に一回戻って栄養をとって気持ちを切り替えてきたらサポートするから安心してほしい。」との言葉。自分からチャンスを捨てるという選択肢のなかった木村選手は、泳ぐことを決意。コーチはメニューを作り替え、しっかりとレースに送り出してくれたそうです。100m自由形の決勝の結果は3位、銅メダル。 「こんな状態でも支えてくれたと実感。自分はここまでやれると自信になった」とおっしゃっていました。

藤田氏、高桑氏、木村氏トークイベントのフォトセッションの様子

これからのこと

東京2020大会の招致前と招致後では、違いはあるか?

高桑選手が「注目度は上がっている」と回答。取材の数や新聞記事の取り扱われ方(社会面から文化・スポーツ面へ)、競技環境の違いについてお話ししてくださいました。いまのところはよい方向に向かっているとのことです。また、新聞記事の取り扱われ方の変化について、藤田氏が自身の研究の成果の概略をお話ししてくださいました。

競技環境について

「自己負担が減ってきている。企業のサポートが受けられるようになった」と木村選手。しかしご自身の練習環境について聞かれると、「(視覚障害者が使える)プールはあるようでない。練習するのに1コースまるまる必要なため、伝手をたどって必死に探す」とのこと。
高桑選手は、ずっと練習している大学の競技場で引き続き練習をされているそうです。強化費もついてきているとのこと。ただし、「車椅子の選手はまだまだ大変」とおっしゃっていました。

今後どう変化してほしいか

陸上は道具(義足)がネックであることを挙げて「これから気軽に(競技を)始められるサポートがあると始めやすいのではないか」と高桑選手。木村選手も「若い選手が始められるきっかけづくり。いまだに入会を断られるケースも多い。若い人にスポーツを楽しむ、親しむきっかけが必要」とのこと。お二人とも障害者スポーツの門戸が広がることを願っていらっしゃるようです。

東京2020大会の目標を言える範囲で

「(陸上競技を)始めたころは、短距離でメダルをとるのは難しいことだと思っていた。2大会経験して決して届かない場所ではないと感じた。2020年なにが一番かっこいいかを考えると、こだわってきた短距離でメダルを取りたい」と高桑選手。
木村選手は、「言える範囲で...」と前置きをした後、「競技会場を満席にしたい。パラリンピックの魅力を発信し、面白いものだと思ってほしい」とのこと。藤田氏から「言えないところもちょっとだけ」とのお願いに、「言えないですね(笑)」とバッサリ。

最後に、藤田氏から「初めて見たアトランタ1996大会は、会場がガラガラだった。どんどん変わってきてリオ2016大会では会場は満杯に。 (障害者スポーツへの)強化と普及が長く続くようなシステムづくりにも予算を割いてほしい」とまとめがあり、トークイベントは終了しました。

質疑応答

(1)リオ2016大会でボランティアの方にしてもらって嬉しかったことは?

周りの人に聞いたこととしては、と前置きをし、「困っていると現地のボランティアの方がすぐに声をかけてくれたこと。なんとかしてあげたいという気持ちをもって自分で動いてみることが大事」と木村選手。高桑選手は、日系人のボランティアの方が声をかけてきてくれたことが印象に残っているそうです。

(2)子供たちに伝えたいメッセージ

「障害を持って生活していく中で、社会とつながりを持つことが大事。(自分は)スポーツができたので、人と関われた。スポーツがあったからこそ社会とつながれた」と木村選手。高桑選手は、「なんでもやってみること、やらせてあげるサポートが大事」とのこと。「この先できるはずだったことが突然とざされてしまう。別の扉にチャレンジしてみることが大事」と続けていました。

(3)後継者は育っているのか?

お二人とも、この点に関しては危機感を抱いているそうです。木村選手は、「裾野を広げるのが大事」とおっしゃっていました。

(4)東京2020大会で競技場を満杯にしたいとのことだが、その目標を達成するためにも私たちが家に帰って何ができるか。

「まず、障害者スポーツが面白いと感じてほしい。だから、どこかの大会に観戦に行ってほしい。観戦後、家族や友人に面白さを語り、次は一緒に行く。このやりとりをたくさんの人が行えば満杯も夢ではない」と木村選手。

(5)プレッシャーを克服する方法

「今回でもこれだけつらかったのにこれからもっとつらくなるかと思うとぞっとしている」と前置きし、「自分に自信をつけていくことでプレッシャーに打ち勝っていきたい」と木村選手。
高桑選手は、「プレッシャーを感じるのがアスリート。克服するよりもうまく付き合っていきたい」とおっしゃっていました。

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