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大江戸スタイル  

大江戸ファッション / 大江戸グルメ   


外食産業の発展

江戸の町は城下町として形成されたため、当初から武士、つまり男性が多い町でした。また諸大名の江戸詰、参勤交代(さんきんこうたい)の要員もほとんどが男性でした。そのほか、近江・伊勢に出自を持つ商家の大店が日本橋などに軒を連ねるようになりましたが、奉公人の多くは独身男性であったと言われています。 そうした人々の食事を賄(まかな)うべく、江戸の町で発達したのが外食産業でした。なかでも庶民が良く利用していたのが、町を売り歩く「棒手振(ぼてふり)」と呼ばれる行商人たち、そして町のあちらこちらにあった屋台です。

晴風翁物賣物貰盡 [清水晴風画]
大江戸しばゐねんぢうぎやうじ 風聞きゝ 安達吟光画
明治30年(1897)刊

特に「明暦の大火」(1657)以降、町の復興のために大量の労働人口が流入し、彼らの胃袋を満たすべく魚や野菜などを調理した食品を売り歩く「煮売り」や「焼売り」商売が急増します。そして江戸時代後期になると、簡単な食事や酒を出す茶屋や小料理屋から高級料理屋まで、人々の要求に応じた様々な飲食店が登場します。

御料理献立競
江戸高名會亭盡 白山傾城ヶ窪 歌川広重(初代)画
天保9年(1838)刊

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