江戸御城御殿守正面之絵図(えどおしろごてんしゅしょうめんのえず)(重要文化財「江戸城造営関係資料」)
  東京誌料 6191-D3

 明暦の大火によって焼失した江戸城天守閣を再建すべく、正徳2年(1712)に計画された本丸天守閣正面図です。


 六代将軍・家宣の時代、儒学者・新井白石を中心として「正徳の治」(しょうとくのち)と呼ばれる政治改革が行われました。その白石の手によって進められたのが天守閣再建計画です。
 天守閣の再建計画案は、寛永度の図面をもとにしたもので、石垣の上に5層5階、石垣の中に1階、最上階の屋根に鯱鉾(しゃちほこ)を置き、唐破風(からはふ)、千鳥破風(ちどりはふ)を配した造りで、腰壁は銅版張となっています。
 残念ながらこの計画は日の目を見ることはなく、以後、江戸城本丸の天守閣は再建されずに、富士見櫓が天守の役割を果たしました。

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