『江戸名所図会 3巻』より「平村 平惟盛古墳(たいらむら たいらのこれもりこふん)
斎藤長秋(さいとうちょうしゅう)編 長谷川雪旦(はせがわせったん)画 天保5年(1834)~天保7年(1836)刊 加賀文庫 加256

 文永8年(1271)に建立されたとされる板碑(いたび)が日野市南平の果樹園の中に残っています。これは平惟盛の墓と伝えられ、この地は住んでいた平資綱という武士が惟盛の菩堤を弔うために建てたとされています。
平惟盛は平清盛の嫡孫で源平合戦の際、元暦元年(1183)に紀州(和歌山県)の海で入水して果てました。


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