この繁華の地も、明治初年までは水田になっていました。明治十九年に埋め立てゝ公園の第六区とし、それまで観音堂の背後にあった見世物小屋を、全部こゝに移しました。今日の六区は、俗に映画街といわれている通り、殆ど映画館全盛の状態で、土曜日曜祭日などは、身動きもできないほどの人出に賑います。
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