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にぎわう芝居小屋


猿若町之芝居略図 渓斎英泉画 天保13年(1842)頃

初代市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)(1660~1704)により「荒事(あらごと)」と呼ばれる荒々しく豪快な演技の芝居が誕生したのは延宝(えんぽう)元年(1673)のことと言われています。「和事(わごと)」の上方(かみがた)歌舞伎とは一線を画したこの演技は江戸の人々の心をつかみ、江戸の町に歌舞伎ブームを起こしました。さらに17世紀中頃、中村座(なかむらざ)・市村座(いちむらざ)・守田(もりた)(森田)座(ざ)・山村座(やまむらざ)という4つの芝居小屋にのみ幕府が芝居興行許可を与えるという体制が成立します。(正徳4年(1714)に山村座はお取り潰しとなり、江戸(えど)三座(さんざ)に) こうして17世紀末には、江戸の町で庶民が歌舞伎を楽しめるような状況が整います。

19世紀になると、四世鶴屋南北(つるやなんぼく)(1755~1829)の手による「東海道四谷怪談」に代表される怪談狂言(かいだんきょうげん)が大流行します。芝居狂言とは歌舞伎の演目のことですが、夏狂言は観客も少なく、若手役者が主体となって行われていました。この夏狂言を「戸板返し(といたがえし)」のような大がかりな仕掛(しか)けを用いることによって人気興行に変えたのが怪談狂言です。


御狂言楽屋本説 三亭春馬著 歌川国綱画 安政6年(1859)刊

しかし、「天保(てんぽう)の改革(かいかく)」(1841~1843)と呼ばれる幕政改革により、芝居小屋は江戸の風俗を乱すという理由で取り締まりの対象となります。もともと堺町(さかいちょう)や葺屋町(ふきやちょう)、木挽町(こびきちょう)といった現在の日本橋や銀座あたり、つまり町の中心地にあった芝居小屋はすべて浅草(あさくさ)に移転させ、そこを猿若町としました。芝居小屋が隣接したことにより、役者や作者、道具方の交流が盛んになり、芝居の演目や仕掛けが充実します。さらには浅草寺(せんそうじ)(台東区浅草)参詣を兼ねて、大勢の人々が芝居小屋に足を運ぶようになり、天保改革によって打撃を受けた江戸歌舞伎も次第に回復していきました。


大芝居繁栄之図 歌川豊国(三代)画

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