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武士の学校の最高峰「昌平坂学問所」

幕府や諸藩は支配者層である武士に対して、儒学(じゅがく)の知識と教養を身に付けさせることによって、士農工商という身分的秩序を維持しようとしました。その学習施設として幕府が設置したのが昌平坂学問所であり、諸藩が設けたのが藩校(はんこう)です。
18世紀以降、藩政改革における人材育成という観点からほとんどの藩に藩校が設置され、武家に生まれた子弟の多くはこれらの学校に通うことによって儒学を学ぶ際の基礎となる漢学の素養を高めました。その際、教科書として使用されたのが「論語」や「大学」など四書五経(ししょごきょう)と呼ばれる儒学の基本的な教えが記された書物です。


聖堂之絵図 安政2年(1855)刊

江戸名所百人美女 湯島天神 歌川豊国(三代)、歌川国久(二代)画
安政4年(1857)刊

文京区湯島にあった昌平坂学問所も、もともと儒学者として徳川将軍家に仕えた林羅山(はやしらざん)(1583~1657)を祖とする林家の家塾(かじゅく)でしたが、18世紀に行われた「寛政の改革(かんせいのかいかく)」(1787~1793)によって幕府の官立学校となりました。これ以後幕府は、昌平坂学問所のほかにも医学や和学や洋学を教える学校を城の周辺に設置し、幕臣だけでなく、全国の藩士もこれらの学校で学ぶことが出来るような教育体制を作り上げていったのです。

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